「何者かになりたかった」        

 

約18年前、初めてクレジットカードを使いブランドのバッグを買った時、魔法のカードを手に入れた感じがした。以来1個・2個とブランド物を買い始めると止まらなくなった。高価な物を身に付けて外に出ると、自信がない自分が何者かになったような気がした。ACでもある私は、子どもの頃から褒められた経験がなく、さらに高校を裏口入学した事により、自己評価が低く、いつも罪悪感とコンプレックスで押しつぶされていた。それを救ってくれたのは高校入学時に父から贈られた高級ブランドの時計だった。その時計は入浴時以外肌身離さずにいた。何故ならその高級時計だけが私を何者かにしてくれる唯一のアイテムだったから。        

 

その感覚がカードでブランドバッグを買った時に呼び戻された。後は坂道を転がるように「買い物」に走った。貯金を使い果たし、数枚のカードの限度額がいっぱいになると、子どもの貯金や学資保険を解約し、買った物を売りお金を作った。数年で数百万の借金ができ、払えなくなると母親に肩代わりをしてもらった。その時に母に言った「もう二度と借金はしません」という言葉は本気だった。が、その1ヶ月後にはまたカードで買い物を始めていた。月々5千円なら大丈夫、この前のようにはならないはず。そんな狂った考えで始まった2度目の破産はそれから4年後に訪れた。目に入った欲しいと思った物を片っ端から買っていった。貴金属・バッグ・靴・傘・服・・・どれも外に出るときに必要な物ばかり。高価な物を身につけ武装をしないと外に出られなくなっていた。自己評価の低い私が普通の人を通り越し、何者かになるには武装しなければならなかった。武装するための借金は、1度目の母親の肩代わりの金額の約2倍になっていた。

 

ドクターに言われた「あなたは買い物依存です」の一言で妙に救われた気持ちになった。病気なのだと・・・。ドクターの勧めで任意整理をし、7年間の返済計画を淡々と支払う日々。何も買えない数年間。このまま「買い物」は治まるのかと思っていた矢先の父の死。思いがけぬ金額の遺産が私の口座に振り込まれた。

辛かった。とにかく苦しかった。父が命をかけて働いて作った財産を使ってはいけない。わかっていながら「少しだけなら構わない」という狂気が毎日私を襲ってくる。そして最初の一杯ならぬ最初の1万を引き出したところから3度目の破産に向かって私は走り出した。 今買った物が何であったのか?わからない。もう手当たり次第に買うしかなかった。誰も私を止める事はできなかった。自分でコントロールなどできなかった。遺産を使い果たし、それでも加速度のついた私は家を担保に借金をし、さらにローン会社への借金は数百万。ただ今3度目の破産の任意整理中である。  

 

昨年秋、私が旅行中に息子が急病になった。ことによっては命にかかわるかもしれないと連絡を受けたが、私には東京まで帰るチケットを買いなおすお金がなかった。週末の夜で妹からの振り込みも断られた。その時に持っていたバッグを売りに行こうかと思ったが、店も閉まっている時間。通りすがりの見知らぬ人に土下座をしてお金を借りることも考えた。交番にもお金を貸してくれるように頼んだがやはり断られた。とある地方都市の駅で私は底つきを味わった。数千万を買い物や浪費で使ってきた私が、たった一万四千円がどうにもならず底をついた。

幸いなことに息子は容体が安定し、友人に振り込んでもらったお金でなんとか当日中に家に帰る事ができたが、次に訪れたのは兄弟からの尋常ではない叱責。父の形見の時計を質屋に入れてお金を借りたことがばれたのだった。彼らは言った「今後お金の支援は打ち切る予定だ。あなたが依存症であることを息子達に話す」と。私は息子達に私が依存症である事を知られるのが怖かった。ダメな母親だと思われるのが何よりの恐怖だった。私は「息子達に言ったら死んでやる」と彼らに言った。私は兄弟達を恨み、精神的にどん底の状態だった。そしてその日の夜に起きたホワイトフラッシュ。絶望のどん底にいた私に、白く明るい何かが上からストンと私の中へ入ってきた。その瞬間何が起きたのかはわからなかったが、私は無性に母や兄弟に謝らなくては!という考えに変わっていた。私は翌日、家族達に埋め合わせに行った。

 

そして私は回復のプログラムを本気で始める決心をした。3か月間プログラムを学ばせてくれる施設に通いステップを一生懸命学んだ。なぜなら命がかかっている。やっと恐ろしい病気だという事がわかった。ステップ1で私は買い物や借金に対してアレルギーのような反応が出てしまうという説明がしっくりきた。ステップ2で「神」という言葉は受け入れられなかったが、「ハイヤーパワー」というものなら信じてみる気持になった。ステップ3で決心をし、ステップ4・5で自分の大掃除をし性格の欠点を見つけた。ステップ6・7で性格の欠点を手放せるよう祈り、手放せるように毎日精一杯の努力をした。

ステップを進めていくと同時に、スポンサー代わりの施設のスタッフの提案を受けてオークションサイトを退会した。夜中についつい見てしまう通販番組にチャンネルを合わせられないようにTVのリモコンのボタンをパテで埋めた。デパートには近づかないようにした。売れる範囲のブランド物は処分した。できる限り買ってしまわないような環境にしていった。

そしてステップ8・9の埋め合わせに取り組んだ。まず親兄弟・親戚に埋め合わせをした。皆それぞれが言ってくれるのは「顔つきが穏やかになった」という言葉だった。自分自身では気づかない変化を指摘してもらうことにより自分が変化しているのだという事を実感できた。

 

難関は息子達への埋め合わせだった。ステップを始めた当初は、息子たちに埋め合わせは出来ても、私が依存症であるという事実を告げる事はしたくないと思っていた。だが、ステップを進めていくうちに全てをカミングアウトしなければ、本当の埋め合わせにはならないであろう事もわかってきた。怖かった。とても怖かった。13年間息子たちを騙していた事も含め現在の借金の総額を言う事、ダメな母親だと思われてしまうのではないかという恐れ。この親子関係が大元から壊れてしまうのではないかという恐れ。でもハイヤーパワーに全てを委ねるしかなかった。そして多くの仲間に勇気と力をもらい、息子たちに埋め合わせをすることができた。ありがたい事に息子達は私の病を受け入れ、フィードバックももらえた。今までの不可解な事が納得できたと。僕達に話すのはとても勇気がいっただろうが話してくれてありがとうと。今は母さんの回復に向けて全ての時間を費やしてくれと・・・・。ありがたかった。嬉しかった。そしてとても楽になれた。

 

埋め合わせも中盤にさしかかった頃、DAの中でスポンサーを引き受けてもよいと施設のスタッフから提案があった。その当時、東京圏のDAのグループでスポンサーができる仲間がいなかった。ステップを使って回復を目指す仲間を増やす事、それが次に私がハイヤーパワーから与えられた使命だと感じた。と同時に、アメリカのDAのツール集の翻訳も仲間のお陰で完成した。いかにプレッシャー・リリーフ・ミーティングが大事なのかが理解できた。仲間二人にお願いをしてプレッシャー・リリーフ・ミーティングを行ってもらった。自分がいかに今までお金の管理にルーズだったか、収支に正面から向き合う事を恐れていたかを思い知らされた感じがした。見直すべき点はいくつもあった。

 

そしてプレッシャー・リリーフ・ミーティングから4カ月経った今、息子の学費も予定通り払う事ができ、電化製品用に積み立てたところから壊れた冷蔵庫を買い替える事ができ、滞納している税金の分割払いを税務署と交渉でき、買いすぎることなく季節の被服も購入し、借金返済も滞る事なく、赤字を出さずに毎月の生活が送れている。こんなにお金に困らずに生活したことがあっただろうか!毎日毎日お金のやりくりの事を考えると憂鬱な気分で過ごしてきた事が嘘のように思える。プレッシャー・リリーフ・ミーティングの効果を実感し、素晴らしいツールと出会えた事に心から感謝している。

 

今現在ステップ10・11で、日々の棚卸しを行い、ハイヤーパワーとの関係を深めながら、ステップ12のメッセージを運ぶ事を毎日の行いとしている。施設のお手伝いをさせていただけている事にも心から感謝している。

まだまだ回復途上の私だが、私が生かされている意味がわかってきたような気がする。と言うか、今は確信している。私がハイヤーパワーから与えられた使命は、今まだ苦しんでいる買い物・借金依存症者に手を差し伸べる事。

過去武装をして何者かになりたかった私は、今は何者でもない1人の買い物・借金依存症者として仲間と共に生きてゆく事に大変満足している。